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【愛され天使2巻発売記念SS】第0.5章 黄色いポンポンとバナナ蒸しパン


著/水口敬文 イラスト/たん旦

第0.5章
黄色いポンポンとバナナ蒸しパン


 九月後半のある日のホームルーム、唐突に未希が担任教師を押しのけて教壇に立った。そして、パンパンと手を叩いて自分に注目を集める。

「みなさん、ちょっと聞いてください。ご存じのように、今月末に体育祭があります。で、各クラスから応援団員を一人出すことになっています」

「今月頭に決めただろー?」

 誰かが面倒くさそうにヤジを飛ばした。

 未希はそれを首肯しながら、

「そうなんですが、応援団員になった近藤さんがちょっと怪我をしてしまいました。来週までにはなんとか治りそうなので体育祭本番は大丈夫なんですが、今は飛んだり跳ねたりできるような状態ではないそうです。なので、応援団の練習に全然参加できないから、辞退させてほしいと申し出がありました。そこで急遽なんですが、男女どちらでも構わないので、代役を引き受けてくれる人はいないでしょうか」

 ザワ、と教室内がどよめく。

 体育祭まで残り一週間。

 今さら応援団なんて大変で面倒な役を担おうとする奇特な生徒はそうそういない。

 机に頬杖を突きながら未希の話をぼんやりと聞いていた颯真もその一人で、立候補しようなんて気持ちはこれっぽっちも湧いてこなかった。別段運動神経に自信があるわけでもないし、もはや小学生でもないのだから、体育祭や球技大会といったスポーツ系の行事に積極的に参加しようなんて気概はさらさらない。

 今の颯真が気にしているのは、いつの間にか千佳と一緒に出場することになった二人三脚で、赤面していじられないようにすることだけだった。

 出場競技について考えたついでに、その相方へ目を向ける。

「……奇特な奴が一人いるな」

 姿勢正しく前を向いている千佳の手が、机の上で上下にぴくぴくと動いていた。

 立候補しようかどうしようか、悩んでいるようだ。

「誰か立候補してくれる人いませんかー?」

 教室全体に投げかける未希の声を聞きながら、千佳を観察する。

 常日頃から色んなことに挑戦したいと公言している千佳だが、そんな彼女でも応援団はちょっと躊躇ってしまうようだ。まあ、わからなくはない。全校生徒と父兄の前でチアガールの恰好をしてポンポンを振るのは、なかなか勇気がいることだ。

 ザワザワしているクラスの中で、千佳の逡巡は続いた。

 そして、ようやく決意を固めた彼女の右手が今度こそ上がりそうになった、その矢先、

「はいっ! 僕がやるよ!」

 教室の前の方で、颯真の親友が元気よく手を挙げた。

「応援団って、学ラン着て旗振ってればいいんでしょ?」

 まっすぐ手を挙げたまま、翔平が未希に尋ねる。

「そうね。男子はそんな感じだと思うわ」

「ならやるよ」

「じゃあ、菊池君にお願いしようかしら。他に立候補者はいないですよね?」

 未希が教室内をグルリと見回しながら、確認するように問いかけた。だが、彼以外に挙手する生徒は一人もいなかった。

「では、菊池君で確定ということで。ありがとう、菊池君」

 壇上から未希が頭を下げると、翔平はちょっと照れ臭そうに笑った。

 教室内からパチパチとおざなりな拍手が起きる。

 やる気のない拍手を聞きながら、颯真は黒板から千佳の方へ視線を戻した。

 手を膝の上に戻した彼女は、ちょっとしょんぼりしていた。



 ホームルーム終了後、一時間目が始まるまでの短い休憩時間に、翔平に声をかけた。

「翔平が応援団に立候補するなんてな。スッゲー意外だったんだけど。はっきり言って、らしくないぞ」

 翔平は賑やかなことが好きな少年だが、その一方で自分が目立つ場所に立つのが好きなわけではない。自分がアイドルをしたいのではなく、最前列でアイドルのライブを見たがるタイプだ。

 颯真がそれを指摘すると、彼は困ったようにあははと乾いた笑いを漏らした。

「やっぱり颯真あたりにはそう思われちゃうかぁ。まあね、全然僕らしくないよね。実際のところ、応援団なんて全然興味ないんだよ、これが」

「なのに立候補したのかよ」

 意味がわからないと颯真が眉をひそめると、翔平は周囲を見回してから、声のトーンを一段落とした。

「ここだけの話なんだけど、実は、斉藤さんに頼まれたんだ。応援団の代役に是非とも立候補してほしいって」

「斉藤が……?」

 予想外の話の展開に、ますます眉をひそめてしまう。

「なんであいつがそんなことを翔平に頼むんだよ」

「さあ? 体育祭まであまり時間がないし、さっさと代役を決めちゃいたかったんじゃないの?」

 翔平はいい加減に肩をすくめながら、適当な理由を口にしたが、颯真は納得できず首を捻ってしまった。

 斎藤未希というクラスメイトは、一年生にもかかわらず生徒会副会長を務めるほど非常に真面目な生徒だ。そんな彼女が、時間短縮なんてしょうもない理由のためにわざわざ出来レースを仕込むというのは、どうにも想像できない。

 彼女がおかしな行動を取る時と言えば……?



 斉藤はなぜ八百長を仕組んだのだろう? などと探偵気取りで考え込んでみせたが、実のところ、なんとなく答えは見えていた。

 何しろ、八百長を仕組んだのが、未希なのだから。

 念のため尋ねてみると、想像した通りの回答が彼女から返ってきた。

「千佳に応援団をさせないためよ」

 と、きっぱり言い切った。

「やっぱりか」

 生真面目で法を守る側の未希が横紙破りをするとしたら、千佳が理由の時しか考えられなかった。

 だが、なぜ千佳に応援団をさせたくないのかがわからない。

「あいつ、応援団やりたそうにしていたぞ」

「知ってるわよ。昨日欠員が出るって話をしたら、目を輝かせていたんだから」

「だったらやらせてやればよかったのに。興味がない翔平よりやる気がある千佳の方がいいだろ。まさか、怪我しちゃいけないからやめさせたとかじゃないだろうな。だとしたら、過保護すぎるぞ」

 千佳がやりたいことを挑戦する際、見守る役を請け負っている立場とすれば、そんな苦言を呈したくなった。

 親友を猫かわいがりしている生徒会副会長を睨むと、彼女は心外だと言わんばかりに睨み返してきた。

「わかってないわね。いい? 千佳ってめちゃくちゃ可愛いでしょ」

「……まあな」

 多少抵抗を覚えながら、ぎこちなく首を縦に振る。クラスの女子を可愛いと肯定するのは、ちょっと気恥ずかしいものがあった。

「応援団って、女子はチアガールの恰好をするの。チアガールって、健康的なエロさがあるでしょ」

「……まあな」

 これまた女子相手に素直に肯定するのは、少々気恥ずかしかった。

 未希はそんな颯真に構わず続ける。

「可愛い千佳+エロいチアガール衣装+全力チアダンス、よ? この足し算の答えなんかわかりきっているじゃない。大騒ぎになるに決まってるでしょ」

「なる……か? ちょっと考え過ぎな気もするが」

 これにはいまいち同意できず、首を傾げると、未希は大真面目な顔で、

「市瀬は知らないだろうけど、小学校の時に同じようなことがあったのよ。演劇の出し物で白雪姫をやったの。あの子、七人の小人Dをやったんだけど、主役の白雪姫より可愛いって話題になっちゃったのよ」

「あー……、それはきっついなー」

 話が見えてきた。

「しばらくの間、他の学年の男子どもが千佳を見ようと教室に押し掛けてくるし、主役の白雪姫の子は傷ついて泣いちゃうし、とんでもない騒ぎだったわ」

 その時のことを思い出したのか、未希の表情が苦々しいものになった。

「小人Dでそれだったのよ? チアガールなんてやったらどうなるかくらい、簡単に想像できるでしょ。断言する。誰も幸せにならないわ。だから、菊池に頼んであんな茶番を仕組んだのよ」

「なるほど。そういうことか」

 ようやく合点がいった颯真は、ふぅと息をついた。

 未希がしたことはおよそ褒められるものではないが、過去にそういうことが起こったのならば、用心したくなるのもわからなくはない。

「そういうわけで、アンタもしっかり頑張りなさいよ」

「なんでいきなり俺が出てくるんだよ」

「市瀬、千佳と一緒に二人三脚に出るんでしょ。応援団の練習がなくなったんだから、その分、しっかり練習しなさいよ。あの子、お父さんとお母さんにいいところ見せるんだって張り切っているんだから。本番でみっともなく転んだり、千佳に怪我させたりしたら、ただじゃ置かないからね」

「……努力はする」

 そういえば、全然練習していなかった。

 未希の言う通り、少しは練習しておいた方がいいかもしれない。



 その日の放課後、チーズケーキが話題になっている喫茶店に向かう道中、隣を歩く千佳が残念そうにため息をついた。

「あーあ、応援団、ちょっとやってみたかったです」

「翔平に先を越されて残念だったな。まあ、来年があるだろ」

 未希とのやり取りをおくびにも出さないように気を付けつつ、そんなことを言って慰めてやる。

「あの場でどうしようかななんて迷っていた自分が悪いんですけどね。即決即断するべきでした」

 千佳がてへへと笑いつつ、頬をポリポリと掻いた。

「それにしても、千佳が応援団をやりたいなんてちょっと意外だ。チアガールの恰好をしてみたかったのか?」

「それもちょっとはあるんですけど、私がやってみたかったのは、『応援』です」

「『応援』?」

 颯真が反芻すると、千佳は一つ頷き、

「私、応援される側じゃないですか。だから、たまには応援する側に回ってみたくて」

「親にチアガールはやめた方がいいと思うけど」

 彼女の母親はともかく、父親は卒倒しそうだ。

 颯真が真顔で忠告すると、千佳はクスクスと笑い始めた。

「何を言ってるんですか。私が一番応援したいのは、颯真さんです。だって、私を一番応援してくれているのは、颯真さんですから」

「……俺?」

「最近は両親も私がチャレンジすることを応援するようになってくれましたが、以前は『危ないからやめなさい』、『無理しなくていいから』、『そんなことしなくても大丈夫だから』ばかりでした。ですから、私を応援してくれる第一人者は、颯真さんですよ。とっても感謝しています」

「そんな大袈裟なことでもないけどな」

 颯真的には、見守る以上のことはしていないつもりだ。

 何でもないように素っ気なく言うと、そんな態度が不満なのか、千佳がぷくりと頬を膨らませた。

「私、本当に感謝しているんですよ? ウソなんかじゃないんですからね」

「わかったわかった。だったら、来年また応援団に立候補すればいいだろ」

 しつこく言ってくる千佳を適当にあしらう。

「そんなことより、体育祭に何かスイーツを作っていこうと思っているんだけど、千佳はバナナは平気か? 運動中の栄養補給に、バナナは最適な果物だから、バナナを使ったスイーツにしようと思ってるんだ」

「……まあ、バナナは好きですけど」

 早々に話を切り替えた颯真を、千佳が不服そうに見つめてくる。

「そっかそっか。だったら安心してバナナスイーツ作れるな。何を作るかな。バナナって結構使い勝手いいから、なんにでも入れられるから、逆に迷うんだよな」

 だが、バナナを使ったスイーツのことを考え始めた颯真は、千佳のそんな視線には気づかなかったし、応援団のことも早々に忘れてしまった。



 体育祭当日は、見事な晴天だった。

 それどころか、昨今の温暖化のせいで真夏並みに暑く、油断すると熱中症になってしまいそうな気温だった。

 おかげで、午前のプログラムが終了して教室に戻った生徒たちはみんなぐったりしていた。エアコンが利いたここから動きたくないと机にしがみついている。

「颯真ー、昼飯食べよーぜー」

 応援団のために真っ黒な学ラン姿の翔平は特に暑そうで、熱気のせいで顔が真っ赤に火照っていた。なんだかんだで応援団は楽しいらしく、充実した笑顔を見せている。

「悪い。ちょっと用事があるから、先に食べててくれ」

 そんな翔平の誘いを断り、教室の中をぐるりと見回す。約束していた紅茶とバナナの蒸しパンを千佳に渡そうとしたのだが、教室に彼女の姿は見当たらなかった。

「おかしいな。さっきまでいたのに」

 自販機にジュースでも買いに行ったのか? と首を捻り、とりあえず蒸しパンを取り出そうとカバンを開けると、見覚えのない紙片が入っていた。

『未希ちゃんと一緒に生徒会室でご飯を食べているので、蒸しパンを持ってきてくれませんか?』

 とあった。

「回りくどいことさせやがって」

 千佳の丸っこい文字を眺めながら、思わず顔をしかめる。

 体育祭中は盗難防止のために、今日はスマホを教師に預けておかなくてはならない。だから、こんなアナログなことをしたのだろうが、カバンの中に紙片を入れたのだったら、蒸しパンが入っているのも当然わかったはずだ。そのまま持って行って欲しかった。

「生徒会室か。……なんでそんなところに?」

 一瞬疑問に感じたが、生徒会副会長の未希の仕事を手伝いながら昼食を取っているのかもしれない。それ以上は深く考えず、蒸しパンを持って生徒会室に向かうことにした。

 生徒はみんなエアコンが利いた教室から出たくないのか、廊下はビックリするくらい人気がなかった。

 そんな静かな廊下を、コツコツと足音を響かせながら生徒会室へ向かう。

 生徒会室前も人の姿はなく、しんとしていた。ドアの向こうからも物音は聞こえない。

「千佳ー、斉藤ー、いるのかー?」

 年季の入ったドアをノックしながら呼びかける。

 すると、中から返事があった。

「あ、颯真さんですね。どうぞどうぞー」

「入るぞー」

 千佳の声に従い、ドアを開けて生徒会室の中に入る。

 生徒会室は会議をしやすくするためか、机をコの字形に配置されていた。そのおかげで、部屋の中央にはぽっかりとスペースが空いている。

「な……!」

 そのスペースに、自信満々といった面持ちで千佳が立ちはだかっているのだが、颯真は彼女を見た瞬間絶句してしまった。

 千佳は、制服姿でも体操服姿でもなかった。

 鮮やかな青に黄色と白のラインがスッと入ったシェルトップとギリギリ丈のミニスカート。そして、両手には黄色いポンポン。

 神をまとめてポニーテールにしていないのが画竜点睛を欠くといったところだが、どこからどう見てもチアガールだった。

「S・O・U・M・A! フレッフレッ颯真ッ! 頑張れ頑張れ颯真ッ! Go、fight、win!」

 呆気に取られる颯真の前で、千佳がチアダンスを踊り、とどめにシャカシャカとポンポンを振る。

 千佳+チアガール+チアダンス。

 未希が言っていた方程式が頭に浮かぶ。

 あの時、颯真は懐疑的だったが、それは大きな間違いだった。

 これを全校生徒の前で披露する?

 とんでもないことだ。

 こんなに可愛くてエロいチアガール、絶対に見せてはいけない。いや、颯真が見せたくない。

 踊るたびに髪は躍り、ポンポンを振るたびに形のいい胸は揺れる。飛び跳ねるたびに短いスカートがめくれ、ボリュームのあるお尻を包んだ黒いスパッツを惜しげもなく晒してくる。

 ダメだ。これは本気でダメなやつだ。

 そう思いながら、颯真は彼女のダンスを見続けた。目が離せなかった。

「――どうでした?」

 いつの間にか、チアダンスは終わっていた。

 千佳が息を切らしながら尋ねてきて、ハッと我に返る。

「ええと……うん、そうだな」

 考えるふりをしながら、くっつきそうなほど近づいてくる千佳からさりげなく視線を逸らす。

「すごくよかったぞ。本当のチア部かと思ったくらいだ。わざわざ俺のために、ダンスの練習をしてくれたのか?」

 落ち着け落ち着け落ち着け。

「え? ええ、まあ」

 あっさりとした感想に拍子抜けしたのか、チアガールは戸惑いの表情を浮かべた。が、颯真は構わず頭を下げる。

「そうなんだ。それはありがとう」

 いつも通りにしろいつも通りにしろいつも通りにしろ。

「い、いいえ。ええと、どういたしまして」

 こんなリアクションを想定していなかった千佳は困惑したまま頭を下げ返した。

「ええと……それだけですか?」

「俺を応援するためにここまでしてくれて、嬉しいって思ってるよ。マジで感謝している」

 俺は木石俺は木石俺は木石……!

「……はあ」

 颯真が平坦な表情で言うと、千佳が気抜けしたような吐息と一緒に声を発した。

「そうだ、バナナ蒸しパン。チアのお礼ってつもりはないけど、昼飯か体育祭の後にでも食べてくれ」

「あ、はい。ありがとうございます……」

 手にしていた包みを差し出すと、チアガールは不満げな顔をしつつも受け取ってくれた。

「じゃあな。まだ昼飯食ってないし、教室に戻るわ」

「そう、ですか。はい、わかりました」

 千佳に見送られながら、生徒会室を後にする。

「うーん、はずしちゃったかなぁ……? もっと色々試した方がいいかもですね。どういう方向性がいいんでしょうか……?」

 生徒会室の戸を閉める間際、ポンポンごと腕組みをしつつ首を捻る千佳の姿が見えた。

 教室に戻るため、少し早足で廊下を歩く。

 最初のうちは、平静を保っていた。他人に見られても、普通の自分に見えただろうと思う。表情筋はよくぞ頑張ってくれた。

 だが、ふとした瞬間にチアガールの千佳の姿がフラッシュバックしてしまい、限界を超えてしまった。

 自分でもどうしようもないほど顔が赤くなる。漫画のキャラだったら、絶対に湯気が出ていただろう。

「ぐ、おおおお……!」

 廊下の真ん中で高熱を発する顔を押さえ、へたり込みながら不気味な魔獣のような唸り声を上げてしまう。

 たまたま通りがかった体操着姿の女子生徒が突然の奇行にビックリするが、気にする余裕なんて全然なかった。

「ヤッバイ……! なんだあの破壊力は……⁉」

 チアガールの衣装を纏った千佳は、信じられないくらい可愛かった。

 はっきり言って、颯真のストライクゾーンのど真ん中を思い切り射抜いていた。

 数週間前に大人っぽい私服姿の彼女を見た時もものすごくドキドキしたが、それとは違うベクトルでドキドキしてしまった。

 あんなに躍動感あふれる彼女を見るのは初めてだった。

 弾けるような笑顔のダンス、踊る髪、揺れる胸、ヒラヒラ動くミニスカートから覗く白く眩しい太もも。もう、全部がすごかった。

 男子高校生には刺激が強すぎた。忘れようとしても脳裏にしっかりと焼き付いてしまい、忘れられそうにない。

 千佳が美少女だとみんな言っているし、颯真もそれは理解しているつもりだった。だが、これほどだとは……!

「『安らぎの天使』は伊達じゃないな……」

 そんなことを呟きながら、どうにかこうにか立ち上がった。そして、ふらふらとした足取りで教室へ向かう。

「午後一で、あいつと二人三脚しなくちゃいけないんだけど、大丈夫か俺……?」

 その懸念は、当たっていた。



 二人三脚は、惨憺たるものだった。

 原因は、完全に颯真にあった。

 先ほどのチアガール姿の千佳が頭から離れなくて、どうしようもなかったのだ。

 体操着に戻ったとはいえ、千佳とくっついているのだ。

 脳みそが勝手に、揺れる胸とか太ももとかを再生してくる。どうしたって集中力が散漫になってしまう。

 ガチゴチに緊張しまくって、息が合うはずがなかった。

「せーの、イチッ、ニィッ!」

「アッ!」

 千佳がかけ声を発してくれるが、二歩目でバランスを崩し、こけてしまった。

「わ、悪い」

「リズムよくいきましょうね。せーの、イチッ、ニィッ、サンッ!」

「うわっ!」

 またすぐに足並みが乱れて転んでしまう。

「大丈夫ですか? 怪我してないです?」

 アタフタしている颯真の顔を千佳が心配そうに覗き込んでくる。

「~~~~ッ」

 全身の体温がグンと上がってしまうのを自覚してしまう。

「颯真さん?」

「な、なんでもない!」

 足を結んでいるせいで、千佳の顔がものすごい至近距離にある。それを意識するだけで額から汗が噴き出す有り様だった。

「颯真さん、落ち着きましょう。ゆっくりでもいいからしっかり進みましょう」

 汗の意味を勘違いした千佳が肩に回した手でポンポンと叩いてくる。だが、そんなことさえ逆効果だった。ますます体が強張り、動かなくなっていく。

「せーの、イチッ!」

「うわっ!」

「一歩目ですよ⁉」

 千佳に悲鳴を上げられてしまった。

 結局、ぶっちぎりの最下位になってしまった。未希からは「もっと真面目に走りなさいよ!」と野次られるし、観客や他の競技者たちからは拍手されながらゴールするという、体育祭において一番の屈辱を受けなければならなかったし、とにかく散々だった。

「もうっ! お父さんとお母さんが見に来ているから、活躍しているところを見せたかったのにぃ!」

「ゴメンナサイ……」

 プンプン怒る千佳に対して、平身低頭謝るしかなかった。

 だけど。

 からかう材料を与えることになるので、口が裂けても言えないが、頭を下げながら颯真は思った。

 あんなエロい恰好を見せつけたお前が悪いんだよ? と。



 体育祭終了後、千佳がいないのを見計らって未希をとっつかまえた。

「千佳に生徒会室を貸しやがったな。おかげで大変な目に遭ったぞ」

「千佳がどうしてもって言うんだから仕方がないでしょ。目をウルウルされて頼まれたら、断れるわけがないじゃない」

「親友バカめ」

「それから、貸したのは生徒会室だけじゃないわよ。チアガールのユニフォームもよ」

「あれも斉藤のかよ」

 渋い顔になりつつ、とんでもないものを貸しやがってと睨む。

「あのチアガールのユニフォーム、なかなかよかったでしょ」

「……ああ」

 なかなかどころの話ではなかったが。

「あの服、すごくしっかりしたものだったよな。ひょっとして、本物か?」

「さすがに違うわよ。コスプレ用。物がいいのは確かだし、そういう意味では本物と遜色ないけれど」

「斉藤、コスプレの趣味があったのか」

 だとしたら意外過ぎる趣味だが、即座に否定された。

「ワタシにそういう趣味はないわよ。あれは、お兄ちゃんの彼女さんから借りたの」

「じゃあ、その人がレイヤーなのか」

「そうじゃなくて……」

 と、そこで未希はわずかに頬を赤く染めた。

「お兄ちゃんも彼女さんも、ガッツリとオタクなのよ。で、二人はね、その……ああいう服を着てイチャイチャするのが好きっていうか……」

 恥ずかしそうにごにょごにょと言葉を濁したが、それだけであのユニフォームの真の用途を察してしまった。

「なんてモンを千佳に着せたんだ!」

「しょうがないでしょ! 千佳がどうしてもチアガールの恰好をして、市瀬を応援したいって言ったんだから。応援団の入団を邪魔した罪悪感があるから、無碍にはできなかったのよ」

「にしたってなぁ」

「大丈夫。クリーニング済みだから」

「そういう問題じゃない」

 半眼で睨み、ついでに釘を刺す。

「斉藤、もう二度と千佳にコスプレ衣装を又貸しするなよ」

「しないわよ。今回は特別中の特別。お兄ちゃんの彼女さんから借りるの、かなり苦労したんだから」

「絶対だからな」

 強く念を押すと、未希は親友に似た意地悪な笑顔を見せた。

「なによ、そんなに千佳のチアガールすごかったの?」

「聞くな」

「すごかったでしょ」

 肘でグリグリとやられて、根負けした颯真は恥ずかしそうにこくりと頷いた。

「でもね、あれが完全体じゃないのよ」

「……なんだって?」

 思わず、神妙な顔つきになった未希を見つめる。

「千佳、チアガールの時も、体育祭の時も髪をまとめてなかったでしょ。普段の体育ではポニーテールにするんだけど、ワタシがやめとけって止めたの」

「そりゃまたなんで」

 そういえば、二人三脚の時も髪はまとめていなかった。

「スポーティーな千佳にポニーテールは似合い過ぎるのよ。チアガールほどじゃないけど、ポニーテールだけでも十分に破壊力があるから、変な男子が群がらないように禁止させたの」

「そりゃまた、警戒心が強いことで」

 さすがにちょっと大袈裟すぎる気がして鼻白んでしまう。

「アンタはポニーテールの千佳の可愛さを知らないから、そんなことを言えるのよ。ポニーテールの千佳を見たら、度肝抜かれるわよ」

「そんな機会、多分ないだろうけどな」

 颯真がポニーテールの千佳を見るのは、数週間後のことだった。



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